あの頃の娘は、とにかく
私と離れることを強く嫌がるようになっていました。
しんどい時期って、「学校に行けない」だけじゃなくて、
“ママと離れること”そのものが不安になる時期なんだと、
あとから知りました。
「母子分離不安」という言葉を知った日
最初は、気づきませんでした。
でも、少し調べている中で見つけた言葉。
「母子分離不安」
もしかして、これかもしれない。
そう思って、相談をしました。
「少しずつ離れる」どころではなかった現実
「安心できる人や場所を、少しずつ増やしていくのが理想です」
「最初は5分でもいいですよ」
そう言われて、なるほど、と思いました。
でもその時の娘は、
もうそれどころではありませんでした。
おじいちゃんやおばあちゃんの家にも、行けなくなっていた。
そこまで状態が進んでいたことに、
その時、初めて気づきました。
「このままじゃいけない」と思った瞬間
「やばい、このままじゃいけない」
「この負のループを止めないと」
そう思ったのを覚えています。
娘にとって、家が一番安心できる場所だった。
だからこそ、そこから離れることが、とても怖かったんだと思います。
離れられない日常
「気持ち悪くなったらどうしよう」
その不安が大きくて、
私と離れることができない。
少しのお留守番も、できなくなりました。
「ごみ捨て行ってくるね」
「やだ、行かないで」
「ポスト見てくるだけだよ」
「それもやだ」
鍵をかけているし大丈夫だよ。
テレビを見ていればすぐだよ。
そう伝えても、不安は消えませんでした。
娘の中で起きていたこと
娘の中では、
「ママがいなくなってしまうかもしれない」
「連れ去られてしまうかもしれない」
そんなイメージが、強くあったみたいです。
どうしてここまで不安になってしまったのか、
その時は、はっきりとはわかりませんでした。
でも、ただの「わがまま」じゃないことだけは、感じていました。
この子の中で、何かが起きている。
それだけは、確かでした。
わからない中で見つけたひとつの気づき
わかってあげたい。
でも、どうしたらいいのかわからない。
そんな中で、私はひとつの気づきを得ました。
「安心できる場所を増やす」その前に、
まずは“今ここが安心なんだ”という気持ちを大事にしよう。
無理に離そうとするんじゃなくて、
安心できる場所から、少しずつ広げていく。
それが、この子にとって必要なことなんじゃないかと感じました。
すぐに変わらなくても
もちろん、それで急に何かが変わるわけではありませんでした。
それでも、
この子の状態を“少し理解できた”ことは、
大きな一歩だったと思います。
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🌱まとめ
「離れられないのは、甘えなのかもしれない」
そう思いそうになることもありました。
でもそれは、
安心できる場所が必要な状態だったのかもしれません。
無理に離すことよりも、
安心の中で少しずつ広げていくこと。
この気づきは、
娘との関わり方を見直すきっかけになりました。
🌿読者への一言
同じように「どうしてこんなに離れられないんだろう」と悩んでいる方に、
少しでも届いたら嬉しいです。
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はっきりした原因はわかりませんでした。
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