「ゼリーだけでもいいよ」|不登校の娘が半年ぶりに給食を食べた日

連休明け、娘は学校で気持ち悪くなってしまい、途中で学校から呼び出しの電話がありました。

迎えに行ったときには少し落ち着いていて、そのあとまた頑張って教室へ戻ることができました。

でも、その出来事が娘の中で大きかったのか、次の週のはじまりにはまた気持ち悪さが強くなり、学校へ行けませんでした。

「やっぱり少し時間がかかるかな」

そんなふうに思っていた矢先の、今日のことです。


今日は私自身が病院へ行かなければならず、娘には

「学校へ行くか、じぃじのおうちへ行くか、家に来てもらうか」

どれかを選んでもらうことになりました。

娘は「学校行く」と言いました。

でも、準備をしているうちに、やっぱり気持ち悪くなってしまって。

「じぃじのおうちでいいよ」

そう声をかけても、

「どうしよ、でも学校に行きたいー!」

と泣きながら訴える娘。

その姿を見て、私は驚きました。

前は「行きたくない」だった娘が、今は「行きたいのに行けない」で苦しんでいる。

学校が、それだけ安心できる場所になってきたんだと思いました。


玄関で上靴をはこうとしたら、

「やっぱりじぃじのおうちに行く…」

と娘は言いました。

でも時間的に難しくて、

「もう間に合わないよ」

と伝えると、娘は深呼吸をして、自分で気持ちを切り替えようとしていました。

そして、「わかった、行く」と決心してそのまま学校へ向かいました。


いつも娘は、給食の前に帰ってきます。

でも今日は、私たちが帰る時に通級の先生が給食のお盆を持って声をかけてくれました。

「今日の給食おいしいよ」
「ゼリーだけでも食べていってみる?」

「え?ゼリーだけでもいいの?食べよっかな」

娘は、ゼリーを食べて

「おいしー」と言いました。

すると先生が、

「春巻きもおいしいよ。一口だけでもどう?」
「残しても大丈夫だよ」
「食べられるものだけでいいからね」
「ゆっくり食べてていいよ」

そうやさしく声をかけ続けてくれました。

先生も給食を持ってきて、一緒に食べてくれて。

「何の食べ物が好き?」
「この曲踊れるよー」

そんなふうに楽しそうに話しながら過ごせたと聞いて、私はとても安心しました。

“食べなきゃいけない時間”じゃなくて、

“安心していられる時間”になっていたんだと思います。


娘は、牛乳を少しと、お吸い物を少し残したそうです。

でも、それ以外は食べられたと聞いて、本当にびっくりしました。

半年ぶりくらいに給食を食べられたこと。

しかも、無理やりではなく、

「残していいよ」
「食べられる分だけでいいよ」

そんな安心できる声かけの中で食べられたことが、私はうれしかったです。


そしてなんと、

給食のあと、掃除まで参加したそうです。

娘自身も、

「今日がんばった!」
「自分でもびっくりした!」

とうれしそうに話してくれました。

給食を食べられたことだけでも大きな一歩なのに、

そのあと掃除をして、さらに5時間目まで学校で過ごせたこと。

きっと娘の中でも、

「できた」

という感覚が残った一日だったんじゃないかなと思います。

娘自身も1万歩進んだと、かなり進んだ感覚みたいです。


私は一度家に戻ったとき、急に涙が出てきました。

朝は泣きわめいていて、私も生理中で余裕がなくて、

「ママは病院も行けないの?」

と強く言ってしまったから。

朝から本当に大変だったのに。

だからこそ、娘が自分で気持ちを立て直して、一歩前へ進もうとしている姿が、胸に刺さりました。


不登校や行き渋りは、

「行けた」「行けなかった」

だけでは見えないことがたくさんあります。

今日の娘は、不安が消えたわけじゃありません。

気持ち悪さも、涙も、葛藤も、まだあります。

それでも、

「学校に行きたい」

という気持ちを、自分の中にちゃんと持っていました。

そして、

「ゼリーだけでもいいよ」

そんな安心できる言葉に支えられて、少しずつ前へ進めた日でした。

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